平成17年11月現代まちづくり塾
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★★11月度「現代まちづくり塾」(第33回)報告★★
日時:2005年11月19(土)13:30〜17:00
場所:文京シビックセンター3F会議室B

■田村明「現代都市・まちづくり講座」
−都市の過去・現在・未来−

第一部都市の原理(T〜Yまで予定)
T都市の発生とその意味−都市文明を問う(修了)

U世界の都市とその興亡−都市文明の歴史−比較都市論
−人間はどのような都市をつくったか−(シリーズ18回目)

テーマ:16.都市文明の歴史−比較都市論の総括(2)
          都市はどんな目的でつくられたか!

講師:田村明氏(地域政策プランナー)

参加者:14名


◇都市の機能−人間にとって都市とはなにであったか

○住むところか
住まいはムラである。住むだけであればムラでよい。集められた住まいとして兵隊や奉仕者が集められたがそれだけでは都市とは言えない。人の交流のために自然発生的に集まったのが都市ではないか。同質の人間が住むだけで良いならムラである。

○なぜ集まったか
集まる目的には、祭礼や信仰、情報、取引、学問、生産などがあるが、市の始まりなどが最初の目的だったのではないか。市の始まりは異質なものが取引をする「鬼の市」としてあった。
権力のあるところに物を持ってくると人も集まり始める。だが権力が人を集められるかというと疑問である。常備軍としての軍事力には安定と平和は人を集める。そのために警察や消防が自治として発生した。日本では国家警察としての発達はあったが自治組織としての警察力には欠けている。
同質なものでなく異なるものとの交流が都市をつくる。そのしくみが市である。しかし異質なものとの交流は安定を脅かすものとしてあり、その場合、宗教は異なるものを集めるときの統合の原理となる。

○作るところか
消費に対応して、作った物をすぐ売るという身近な生産と流通が発生する。織物や染色などが発達した。鍛冶屋は平時は道具をつくり戦時は武器をつくることができる。

○信仰
蓮如上人は布教をしてまちをつくった。権力者は宗教を潰すのではなく、抱きこむ形で統治した。エルサレムは聖地として闘争の場ともなった。巡礼の場としてのメッカは信仰の違うものを排除している。サンチャゴ・デ・コンポストラには「巡礼の道」の表示がある。

○遊ぶ・学ぶ
盛り場は異質なものが集まるから面白い。ローマのバースというまちは温泉のまちである。こういうものも人間を集める要素になっている。住宅公団は住まいばかりをつくって学校をつくっただけなので、住まいとしてあったが都市としての要素には欠けていたのではないか。都市は装置としてハードウェアばかりでなくシンボルとしての意味もある。現代の都市は複雑になっており、劇場としての都市などの意味もある。

○会場から
・アジールとは避難所のことか。

・「付加価値」と言われているが同語反復的ではないか。
→物に元々ある価値にデザインなどの価値を付加したものではないか。

・中心市街地から人が居なくなっているという地方都市の現状と、都市の原理との間にどういう関係があるか。
→私はかならずしも集まらなくても良い時代がくるのではないか思っている。

・異質なものか集まるのが都市の魅力で地方都市には異質なものがないという現状もあるのではないか。個人も全的なものというより断片的になってきているのではないか。行政区域として地面に引いた線も無意味になってきている。
→都市の原理として宗教を中心に集まるというのもある。

・コンパクトシティの本質というのは何だろうか。楽市楽座や参勤交代で強制的に都市をつくったことが権力と都市との関係の参考になるだろうか。
→権力がつくった都市としては家康のつくった江戸、東京がある。大都市のつくったツケが国家の負債になってしまった。基礎的自治体に分けて見直さなければいけない時期にある。

・遊ぶ学ぶ活動自体が集まるきっかけになるのではないか。

・住まうということに、集まる稼ぐ働くを別にしてしまうと住まうという意味が寝るところというような限定的な意味になってしまうのではないか。

・住むということが都市の本質ではないと言い切ってくれたことがうれしい。伊勢の場合も住環境を良くするとかいう政策でなく観光としてイベントに耐えるまちづくりもあるのではないか。
→素晴らしい住まいにとっては異質なものは迷惑という面もある。


続く(クリック)!


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