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★★9月度「現代まちづくり塾」(第31回)報告★★日時:2005年9月17(土)13:30〜17:00 場所:文京シビックセンター3F会議室C |
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■田村明「現代都市・まちづくり講座」 −都市の過去・現在・未来− 第一部都市の原理(T〜Yまで予定) T都市の発生とその意味−都市文明を問う(修了) U世界の都市とその興亡−都市文明の歴史−比較都市論 −人間はどのような都市をつくったか−(シリーズ16回目) テーマ:14.絶対王制と都市計画−権力と美 講師:田村明氏(地域政策プランナー) 参加者:15名 ○絶対王政 ひとつの言語を中心に君主を統合して国民国家を形成する過程で出来た。最近は封建体制を打破するものとしてプラスに考える見方が主流になっている。改革の遅れたドイツ、イタリア、日本が三国同盟を作ったのは面白い。日本では秀吉が対外的に敵をつくって治めるという手法が絶対王政的とも言える。徳川政権は鎖国をして中央集権的封建制をしいた。ルイ14世は戦争ばかりしていた。兵農分離から身分制度が分化した。 ○バロックの都市計画の目的 都市は立派に見せるために壮大だった。都市美は生活者のためではなく権力者のためにあった。都市は帝王の権威の象徴であり、対外的権威の発揚であった。バロックというのは曲線美ではなく歪んでいる。代表的なものはベルサイユの都市計画でパリから脱出して宮殿と市街地をつくった。庭園は模擬海戦が出来るほど広かった。宮殿は市街地と庭園の接する中心につくった。 ○ヴェルサイユの都市計画 都市の区画は力を表わす直線で計画し権威の象徴だった。直線と幾何学的模様の中心に宮殿を配置した。庭園にはトリアノンとプチトリアノンという小さな宮殿がありそこに住むこともあった。日本ではイギリス式庭園という曲線美の自然な庭園が流行った。また宮殿には中国の部屋があって絶対王政より中国の皇帝を憧れたのではないか。権力者と言えども一人の人間として自然な生活にも憧れたのではないか。 ○カールスルーエの都市計画 ドイツの辺境にあった伯爵がつくった美しい都市で中心に宮殿があり放射状の道路と環状の道路で形成されているが街を歩いてみても基軸がないので放射状には見えない。 ○パリの都市計画 パリはナポレオンの甥オスマンによって改造された。ナポレオン3世は皇帝に登りつめて強引にパリを改造しようとして城壁を壊したり広場と街路を結んだりした。現代のパリの形はこのときに出来た。軸線はルイ15世の時代に広場と広場を直線で結ぶことで出来た。エトワール広場にはローマを模して凱旋門をつくった。道路沿いの建築物は規制して美しい街路をつくった。日本の都市計画は道路事業になってしまっているが建築物と一体となった都市計画だった。 ○その他の都市 ロンドンは市民の町で王様は市外に住んで基軸がはっきりしない。バッキンガム宮殿は街の中心ではなく王様が市内に入るには市庁から鍵を借りて入る形式をとっていた。日本では大手町に中央官庁街を計画したが、地盤が悪いのに建物が重くて計画は潰れてしまった。 ○民主国家のバロック都市計画(アメリカ合衆国) ワシントンDCの中心は巨大モールでホワイトハウス、国会議事堂など市民の建物が中心になっている。面白いのはリンカーン記念塔がギリシャの列柱のように権威的なことで、日本でも一時期に銀行の建物などでギリシャ列柱は流行った。 ○日本の都市 東京では後藤新平が都市計画を始めたが何も出来なかった。大阪では関一が御堂筋を作って受益者負担を徴収してつくったが使いやすい形をしている。 ○会場から ・絶対王政の時代には民衆のための都市計画としてどのようなことをしていたか。一般民地の建物は誰がつくったのか。事業として建物は誰がつくったのか。現在のパリの町並みは美しい。 →路地は迷路の中で市街戦が起きないように大通りをつくった。建築規制はあったと思うが地主が規制に従ってつくった。現在も町並みをつくるための努力はされている。 ・カールスルーエの都市計画が象徴的だが中国の場合には碁盤目状につくるが文化の違いなのか。意識がユークリッド的でなかったのか。また計画したときは市街がなかったのか。 →市街はあったと思う、ごく小さな町に権力的につくったのだと思う。絵で見ると 面白いが街に入るとこんな放射状の街のような気がしない。 ・ラプラタでは碁盤目状の街に斜めの直線が入っていて街がわかりにくい。 →私も一本隣の道を歩いていてずれると元の道に出られると思って迷子になたことがある。 ・政治学的には古典主義的な建物が権力の象徴として使われてたのではないか。古典主義都市計画と言えるのではないか。誰がバロックと言い出したのか。 ・景観は合意形成で出来てくるものが都市美なのか、新しい民主的な景観とは何か。 ・モダニズムそのものがより民衆的なものを目指したのに壮麗に対応するものがなくて困っている。 ・ヨーロッパでもモダニズムの建物が唐突にあるとみすぼらしい感じがする。 ・民主主義の形を目指して設計すると建築家としてどんなに生きにくいかと思う。伽藍を維持するのに僧侶が大勢必要となる。全体のシステムとして都市が必要なのに形としては鐘楼などだけがとりあげられる。民主主義が強まった時代の美というのがあるのか疑問に思う。 ・文化は権力の集中に生まれるので民主主義と一致しないのでは ないか。権力者の居るところに美が生まれる。 →権力者が無くなってみると権力が懐かしいという面はあると思う。 ・商業史を調べると略奪から始まっている。 →やはり平和的に交換するところから。 ・姫路城などは権力者が作ったものには違いないが権力は民衆の支持があって生まれたもので暗黙の支持とか喝采とかが原点にあるのではないか。 ・超高層ビルなどは民衆の支持があって作られたものには見えない。 |
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