平成17年5月現代まちづくり塾
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★★5月度「現代まちづくり塾」(第28回)報告★★
日時:2005年5月21(土)13:30〜16:45
場所:文京区民センター2F−C会議室)

■田村明「現代都市・まちづくり講座」
−都市の過去・現在・未来−

第一部都市の原理(T〜Yまで予定)
T都市の発生とその意味−都市文明を問う(修了)
U世界の都市とその興亡−都市文明の歴史−比較都市論

−人間はどのような都市をつくったか−(シリーズ12回目)

テーマ:12日本の都市
江戸の構造(ハード−都市計画など)
講師:田村明氏(地域政策プランナー)

参加者:15名
●江戸の原風景
太田道灌は江戸に軍事拠点をつくったが、北条氏の時代には軍事拠点としての意味
は薄れて町は荒れ果てていた。徳川家康は駿府に住んでいた。駿河台は家康の死後、
駿府を江戸に引き上げてきた土地である。内藤氏と青山氏で軍事拠点とした。現在も
青山は青山、内藤は新宿区内藤町として残っている。

●江戸の建設
西の丸の建設に合わせて、江戸の中心は道三堀(現在の永代橋)、次いで日比谷入
江を埋め立てた。次に神田山(本郷)を取り崩し埋め立てて市街地をつくった。軍事
都市として外堀、内堀をつくった。次いで平川を神田川と接続して人工的な掘割をつ
くり名前は伊達藩にちなんで仙台掘(現、御茶ノ水)とした。治水には軍事、交通、
水利の3つの意味がある。後世に堀の形を卍形にしたという説もあるが意味はない。
風水では東が鬼門なので東叡山寛永寺を置いた。道路は江戸前島を中心に日本橋から
五街道を整備した。現在の東京もこの五街道を基調に放射状の構造になっていて、京
都や大阪と違って東京の特色となっている。また運河と舟入をつくり水の都として流
通を整備した。

●河川の付け替え
古代の水脈は、太日川、荒川、住田川、入間川だった。利根川を付け替えて銚子から回船が入れるようにした。入間川を付け替えて荒川とした。平川を付け替えて神田川とした。平地に小名木川をつくったなど、家康は河川を付け替えて交通を整備したので都市の一大プランナーと言える。

●江戸の改造
大江戸808町から吉祥寺など外郭へ整備を拡大し、多心型都心構造をつくっていった。また京都、大阪、江戸の三都の役割分担と地方各都市の特色によって幕藩体制を整備した。

●会場から
・日比谷の入り江の埋め立ては必要があったのか?
→大手町に近くて便利な場所だった。

・三都の役割分担は後から作り上げたものなのか、例えば堺の町は刃物の町としてもともとあったのではないか。
→江戸時代だから三都の役割分担として成熟した。

・江戸は中世なのか近世なのか。
→時代としてと都市としては違う。

・3年に1回の大火は日本人の精神構造に影響を与えているだろうか。
・明暦の大火がなかったら江戸は深川方面に発展しただろうか。
・都市の中心は移動するのか。
続く(クリック)!


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