| 平成16年12月現代まちづくり塾 | ||
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日時:2004年12月18(土)13:30〜16:45 場所:東京市政調査会第一会議室(市政会館5階) [会場案内]http://www.timr.or.jp/kaikan/map.html |
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■田村明「現代都市・まちづくり講座」 −都市の過去・現在・未来− 第一部都市の原理(T〜Yまで予定) T都市の発生とその意味−都市文明を問う(修了) U世界の都市とその興亡−都市文明の歴史 −比較都市論 −人間はどのような都市をつくったか− (2004/2/20〜12回シリーズ予定−その9回目) テーマ:草原の帝国と都市−破壊と創造の都市 カラコルム、サマルカンド、ブハラ 講師:田村明氏(地域政策プランナー) 参加者:17名 |
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| ●草原の都市 内陸アジアの諸国は砂漠、草原、山脈などが連なり、ローマ帝国、バルティア
帝国、クシャーナ帝国、漢帝国と続いているが、そのうち草原で活躍した国々に
ついて話をしたい。民族はヨーロッパ系、イラン系、アジア系とつながっている。
草原の遊牧民族の発生は狩猟から群生動物を追っているうちに家畜化したとの
説がある。草を食べさせるために移動しなければならない。移動していると都市
はつくれないのであるが、移動する都市があってもよいのではないか。 遊牧民族は「汗血馬」という強い馬を持ち、ゲルという移動家屋に住み、散開
しながらも組織的に移動していた。 ●草原の支配 スキタイは移動していて都市は作らなかった。月氏は移動しながら大月氏とな って都市をつくった。匈奴(フン族)は強くて漢は長城をつくって防いだ。文明 の交流などの歴史は文字が残っていないが、一時は漢も遊牧民族に支配されてい た。 ●オアシス 13世紀になるとオアシスを拠点として交易、農業などが始まり都市の始まり となった。交流は東西ばかりでなく南北の交流も面白い。交流の担い手としては ソグド人がいた。オアシスは砂漠の海にある港とも考えることができる。 カレーズは地下水路を繋いだ人工的なオアシスでその技術はすごい。 ●モンゴル帝国 リーダーを選出し、ジャムチという連絡手段を持ち、強い弓など移動力と破壊 力を持っていた。草原を支配するのは定住になじまないのでもともと都市をつく る意味はない。それなのにモンゴル帝国という帝国ができたのは何か他の都市と は違うものだったのではないか。ジンギスハーンにとっては都は草原だった。都 がないのでジンギスハーンの墓もどこにあるかわからない。定住でなく移動が生命だったので大帝国を築くことができた。 ●草原の都市 カラコルムは町であるが首都ではなく補給基地だった。後のフビライは大都 (北京)に都をつくったがこれも首都とは呼びにくい。サマルカンドは文明の都 市だったが、ジンギスハーンは破壊してしまった。 移動型都市というものはあるのではないか。ボートで暮らしたり出稼ぎをした りしても都市型の生活をしている。夏の都、冬の都という例もある。現代は通信 手段が発達しているのでどこにいてもよい。キャラバンサライ型の補給基地さえ あれば分散したものあるいは小単位で自立した都市の可能性も考えられるのでは ないか。 ●会場から ◎ヨーロッパはモンゴルに支配されていた時代は暗黒の時代と言われているが特 にモンゴル人が残虐だったと言えるか。 →もともと人間は残虐なことをするとも言える。もともと交流の目的が支配に 変化することもある。 ◎ムガール帝国はどうだったのか。 →剣かコーランかと言われるが民族共存の考え方があった。 ◎都市は人が集まっているもの、市は交流をするもの、などと考えると都市を 発生させる根拠として定住性と移動性の両方が必要と思う。移動性はもともと都 市に内包しているもので、草原都市という呼び方はなじまないのではないか。渋谷も交通の拠点と定住のまちとしてある。 →どこのまちにも交流によって異質なものを受け入れる下地がある。 ◎未来の都市が体育会系の感じがする。体育会系というのは文字に立脚した文化 を感じられないという意味です。人間が時間と場所から自由になると文字がなく なってしまう。 ◎移動していても生活の調和があれば収奪を必要としない。なぜジンギスハーン は西へ西へと移動してしまったのか。異質なものがどうしたら共存できるのか。 →異質なもの共存が都市のテーマである。草原の文化で他の都市を潰してしま った。その後モンゴル帝国も衰退してしまった。 ◎西モンゴルに行ったとき行政単位が旗だった。移動しながらも集まれるのは旗 だった。 |
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